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第1回:主体的自己と客体的自己と社会的自己

  • 2022年4月23日
  • 読了時間: 9分

更新日:2022年5月18日

はじめまして。


俺は「#人生を取り戻せ」、「#自己を恢復せよ」を合言葉にした"#有無相通(#Coexist)"の起草人です。名前は夏目漱石の著書の登場人物からとって「K」と名乗ることにします。


ブログを見てくれてありがとう。



今回は初めての投稿ということで、合言葉「自己を恢復せよ」から"自己"について、タイトルにある3つを取り上げることにします。


注意してほしいことが2つあります。


1.このブログに記述することは、俺の" #認知バイアス"によるかもしれないということ。

2.貴方がそう思うことは、貴方の" #正常性バイアス"によるものかもしれないということ。


このことに気を付けて、続きを読んでくださると嬉しいです。



自己ってなんなんだろう。そう思って調べてみたら心理学的には3つの言葉が存在することがわかりました。


1つ目「#主体的自己」⇒自分にとっての自分。

2つ目「#客体的自己」⇒家族や友人などの身内に対して見せる、振舞う自分。

3つ目「#社会的自己」⇒世の中で他人と接する際に見せる、振舞う自分。


端折りすぎかもしれないですが、俺はこんな風に解釈しました。


たいていの人はこの3つにはある程度の一貫性があるらしく、乖離が大きくなるほどその人は苦しむそうです。


俺はどうだろうか。改めて今回再考しました。

やはり俺は子供の頃から3つが大きく違っていました。今でも鮮明に憶えています。


例えば小学6年生の頃、担任の先生にこんな質問をしたことがあります。

「もし性格の悪い人が死ぬまで"善人"のフリをして生きたら、その人は善人ってことになりますか。」



そんなことを考えて生きるうちに俺はいつからか、作品、特に音楽に「主体的自己」の行き場を見出していたんだと感じます。



そして今、その漠然とした違和感について、今わかってきた、厳密にはようやく言葉にできるようになってきた、そう感じています。それがこのブログを書き始めたきっかけです。



かつて日本の文豪 #芥川龍之介 は「#ぼんやりとした不安」を理由に自殺しました。

俺が好きな #尾崎豊 も、#カートコバーン も、#hide も不可解な死を遂げました。

#ジョンレノン#JFK は暗殺されました。

 

彼らが解明出来なかったことを俺はやろうとしているのかもしれません。


これは俺のひとつの新たな挑戦です。



違和感の原因、それは「#自己喪失 への誘導」だったのだと思います。



自分が思うことや考えることと、システムの中で"正しい"とされていることとの乖離。

それは小学生頃まではなんだかんだやり過ごせても、中学、高校と進学するにつれ生きる為にそのシステムに合わせた、

"自分ではない何か"="主体性をなくした自分"


に形を変えていかざるを得なくなっていき、その自分で居る時間が増えていくことだったんじゃないかと感じます。



では、"システム"とは何か。"主体性"とは何か。



"システム"について一言でいえば、#経済合理性。要は「如何に金を稼ぐか」。極端に言うと金になることは正しいこと、という"宗教的"#拝金主義。


金を稼ぐためには勉強をして受験でいい大学にいっていい企業に就職する、エリート主義であると俺は考えます。



"主体性"とは何か。


これは人によって違うだろう。俺の場合は「日本的性質」だと感じます。


俺の父方の祖父母は「典型的な昔ながらの日本の家庭」だったと思います。

亭主関白で先祖を重んじ、正月は一族で神社に参拝し祈祷を受けたり、家紋があったりと教条主義的形式ではあったが、「日本」を踏襲し受け継いでいこうとする家庭でした。


俺は家督相続家の長男として生まれたこともあり、俺はこれにすごく影響を受けたように思います。それが子供の頃から主体性として浸透していきました。


そして大人になり世の中を少しずつ知り、この俺の「主体的自己」について、俺の「社会的自己」の観点からみたときに感じたこと。言い換えると周囲の人間と自分を比較し客観的に考えたらどうだったのか。


それは偏屈、古臭い、堅苦しい、損しているといった印象を持ちました。




なぜか。



それ(俺の「主体的自己」、この国の伝統的思想)は現代の"システム"との親和性が低かったから。




なぜか。



それは"システム"といのが現代では、行き過ぎた #グローバリズム によって、システムに適合することが日本を発展に導く為のものでなくなっていたからです。


これは、俺が過去に外資系大企業の下請けとして非正規で、現場はじめ事務管理で働いたことがある経験から確信に近いものを持っています。



また、俺は高校、大学と学生時代に"エリート主義"的な進路を選び、ともに過ごし、卒業後その道を歩む者達との繋がりも卒業後ある程度あったことも、確信をより強固なものにしていると思います。



ここで"エリート主義"について触れます。

俺は落ちこぼれた人間といえるかもしれません。

だから妬み嫉みと思われるかもしれません。



ですが問わせて頂きたい。



"エリート"の判断基準は何なのか。誰にとってのエリートなのか。




先に、

「金を稼ぐために勉強をして受験でいい大学にいっていい企業に就職する」

と述べました。



乱暴かもしれませんが


"お金を稼ぐ能力が高く高年収"


と言い直してみます。



昭和の頃、バブル期には「高学歴、高収入、高身長」の3Kという言葉がありました。

その頃はまだエリート達が稼ぐ金の多くはきっと国内企業で回っていたのでしょう。



しかしバブルが崩壊し、グローバリズムが進みかつ30年に渡る国内不況、ウィルスの蔓延、外国での戦争勃発などに政府がろくな対応をせず、国内企業の株や土地が外資に買い叩かれてからはどうでしょう。


エリート達が就職する大企業、その大半は今や外資系に買い叩かれた日本企業が多数となっているのではないでしょうか。



過酷な受験戦争と就職活動を勝ち抜きいい企業に就職したエリート達。

そんな彼らも今や能力に見合った対価を受け取っているでしょうか。


コストカットや非正規化の推進で、安定した生活を求め一生懸命勉強してきた彼らですら、数の少ない"椅子取りゲーム"に晒されているのではないでしょうか。


そうして行う彼らの仕事が結果的に、今や外資の利益の為に日本という国家やそこで生き、働く人々の人生を切り売りしている、あるいはその片棒を担いでいるのではないでしょうか。



我が国大手企業の株を見てください。お隣の赤い「あの国」に買い叩かれた企業や土地が多数ありませんか。


俺もかつてエリートの卵の方々とそれなりに同じ環境で学生時代を過ごしてきました。

懸命に勉強してきたことも、俺なりにわかります。



でも、だからこそ敢えて言います。



今日本の政治を行う" #高学歴エリート達" 、" #世襲政治屋"たちを見てください。

彼らを見てどう思いますか。



俺は彼らは、自分の暮らしや自分に近しい人の視点しか持っていない、もしくはそれ以外を見て見ぬふりしてファッション的に主張を掲げ、資本の論理に教条主義的になって外資に、日本の国家や国民の人生を切り売りする"#似非エリート "だと思います。



これまで勉学に励まれたエリートの方々、あなたはどうですか。

このことについてどう思われますか。


自分では気づかずに、自分がやっていることはどんなことかを知らずに、日本や日本国民の人生を切り売りする「#グローバルエリート」になっていませんか。


テレビで放映される政治家の発言や行動と、あなたが普段仕事として発言することや行動を比較してみてください。


政治家達はあなたの上司、もしくは役職に就いたあなた自身と重なる部分はありませんか。



また今非正規雇用で人生を切り売りされて、なんとか食いつないでおられる方々、それぞれについてどう思われますか。



選挙、民主主義で政治が決まるのだとすれば、今の政治は国民達の意志であるということになります。

つまりは俺を含めて、貴方がたひとりひとりの写し鏡です。


もしそうでないならば、選挙や民主主義のシステムは壊れているということになると俺は考えます。



勉強をしてこなかった人達は自己責任でしょうか。

勉強をするにも金はかかります。発育環境はガチャなのでしょうか。


貧しく、成功できなかった人達は自己責任なのでしょうか。



とりあえず事なかれ主義で今を乗り切られますか。


今自分は困っていないという方々、貴方の子供、孫、親、親友が何かしら人生でつまずいたときに面と向かって自己責任、と仰られますか。



問題の原因、本質は何でしょうか。

定義と定理を履き違えてはいないでしょうか。


「不正」を「正」と思いこんだ「歪」な思想に染まってしまってはいないでしょうか。


「ヘイトだ」と、聞き苦しいことを言っていると思われる方も居られるかもしれません。



残念ながら俺は、既成事実化されていることと、真実を述べているだけです。



ここまで色々述べてきました。「自己」というテーマから逸れていると思われた方も居られるでしょう。


でも、これらは日本人の「日本人という主体的自己喪失」という点でズレていないと俺は考えます。



 #野球、#サッカー などのスポーツをはじめ #オリンピック でも、「#頑張れニッポン」と日本人選手を応援された方は多いと思います。


その方々が応援された日本、日本人ってなんでしょうか。


今の日本人ってどんな人間でしょうか。



俺には「子供の頃から資本の論理に基づいて教育を施されて、グローバリズム思想で外資に日本という国家や同じ日本人の人生を切り売りして、金をより多く稼いだ人が称賛される国。そしてそこに生きる人々」が今の日本人になっているのではないかと危惧しています。


俺自身が自分がそうだったんだと感じたのでこんな風に言っています。



そうなっている原因は、「社会的自己」と「客体的自己」が資本の論理、グローバリズムによるシステムに呑み込まれ、「主体的自己の喪失」が起きているからではないでしょうか。



貴方は本当に自分の人生を生きていますか。


死ぬときまでそれは続けられますか。死ぬときに自分の人生を生きたと言えますか。


貴方は何者なのでしょうか。


日本はこのままだとあと10年以内に「あの国」に取り込まれて日本省とされると言われています。



これまでの教育やメディアのプロパガンダによる"偏った認識"から目を醒ましてください。


自分って何か。主体的自己って何かを考えてみてください。


今自分がしていることはどんなことなのか、自分って何なのか自覚することにきっと繋がります。

生きることと死ぬことについて、真剣に向き合ってみてください。


それが今日本がどんな状況にあるか、これからどうなっていってしまうかを知る上で非常に重要だと俺は思います。


便利な世の中になっていますが、「お金の先には人が居ます」。


あなたや周囲の人が厳しい人生を歩んでいるのと同様に、あなたの暮らしを支える消費行動=お金を使うことの先に居る多くの人々も、苦しみに耐えて生きておられる方々がきっとたくさんおられます。


一生懸命頑張っても、一向に状況が改善しないのはなぜか。

それはこの国の経済システムが、日本や日本人の人生を海外に売り払われていくように出来てしまっているからです。



このことを今一度、心に留めて頂き、既存のシステムを見直す為にひとりひとりができることを考え、日々を過ごすことが重要だと俺は考えます。



例えば、少し値は張っても外資に買い叩かれていない「日本企業」の商品または、「日本製」の商品を買う、俺はここからはじめてみます。


からかいでも結構です。「#有無想生(#Coexist)」を周囲と共有して頂けると幸いです。


それがきっと貴方の人生を取り戻す第一歩になります。



どうか日本人の「人生を取り戻す」為に、あなたの「自己を恢復する」ために、

未来の日本と日本人のために、一緒に「有無想生(Coexist)」して頂けないでしょうか。



最後までご覧頂きありがとうございました。







 
 
 

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