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1.壊れかけの"Media"

地球を離れてから何日経ったろう。

宇宙は朝も夜もないからわからない。というか、窓もないこの部屋は電気が付きっぱなしだ。


6畳もないベッドとユニットバスだけの空間。究極のミニマリスト状態だ。


部屋のドアは鍵が掛けられてて出ることができない。
時間感覚がまったくわからない。

なんにせよ俺は"Mars Volta"計画に参加することになり、囚人としての身の上から出世?したんだろう。


まぁどうせモルモットみたいなもんだ。
現に今だって、定期的に開く引き出しから着替えやら色々と支給されている。
飼われているも同然だ。

そうして人類の火星移住に向けて、この身を捧げることになるんだろう。

 

そう。俺はあの日、収容所で数年ぶりにJと再会した。
明らかに差が開いたお互いの立場。

昔話に花開かせるどころか、あいつは俺の胸ぐらを掴み罵声を浴びせてきた。
そんな感情的な奴じゃなかったはずなんだが。


その後Jの指示を受けた部下によって俺は連れ出され、この宇宙艦に乗せられることになった。

ひとつ。気になることがあった。
あのあと、上着の内ポケットにメモが紛れ込んでいた。


そこにはひらがなが羅列されていた。俺は昔使っていた暗号でその内容を読み解いた。

あいつは俺に何をさせたいんだろうか。

 


まぁ。とりあえず腹が減った。
引き出しからレーションを取り出し、ベッドに腰掛けてほうばった。


「不味っ。」

まだ一向にこの味に慣れない。囚人飯よりもひどい気がする。

きっとこの1ブロックは、合理的栄養価のみに焦点を置いて、科学的に計算し尽されたものなんだろう。
飼っている側からしたらこれは、"ご飯"ではなく"作業"なんだろう。


そう。飼育されるってのはこういうことだ。

でも何も食わないわけにもいかない。鼻息を止めて一気に食べきった。

と。突然、鍵が掛かっているはずの扉が空いた。

 


「What's up? Knock on the door, please?」

 

扉のほうを見ずに俺はそう言った。


「申し訳ありません。あなたがKさんですね。」

扉の前に立っていたのは、長い黒髪の20歳くらいのアジア系の若い女。流暢な日本語だ。日本人だろうか。

感情を読み取れない、ロボットのようなボーカロイドのような、淡々とした口調だった。

「なんでその名を知ってる?監視で記録されてたら君は無事じゃ済まないぞ」


「大丈夫です。監視にジャミングを掛けています。」


「俺に何の用だ?」


「私は永遠。Jさんの使いの者、Coexistanceです。
 ここでのあなたの活動のサポートをするよう仰せつかっています。」

無感情で無機質ながらも気品を感じさせる言葉遣いだ。


「そうか。」

警戒を少し緩める。


「なら早速聞こう。あいつは俺に何をさせたいんだ?」

 


ベッドに腰掛けたまま両手をついて、俺はそう続けた。

永遠は俺のもとに近づき、立ち止まった。
俺は見上げてその顔を見て思わずはっとした。

髪型も髪色も違うが、学生時代のQにそっくりだった。
感想を悟られないよう平静を装いつつ、女の目を凝視した。

本当にロボットのような、熱のない視線。
それは冷ややかなものよりも、より一層凍り付いているような無機質さだった。

こんな目を見るのは久しぶりだ。

軽蔑や警戒、嘲笑の目で見られるのとはずいぶん違う。自分の意志をまるで感じられない。

「私はJさんの指示に従って行動します。」

永遠は最小限の口の動きで答えた。


「それは結構だが、Jの指示で君はそこに居るんだろう?」

 

目を逸らさずに続ける。

 

永遠は少し視線をずらし、顎に指を当てる。


やはりQに似ている。
あいつが考え事をするとき、こんな風にしていたっけ。
あいつはこんなカッチリとした感じではなく、もっと柔らかい雰囲気だった。


それとは対照的な永遠のそれは、若さも人間性もあまり感じられない。


やがて彼女は、少し上を向いて目を閉じ軽く息を吸った。


「なぜ、あなたは今までこのような生き方をしてきたんですか。」

唐突に漠然とした問いが飛んできた。
彼女の目は先ほどよりも心なしか意思があるように感じさせる、澄んだ綺麗な瞳だ。


今度は俺が少し視線を外し、足を組んで腕組みをして目を閉じる。


彼女が聞いてきたのは、いつだって俺が自分自身に課し、問い続けてきたものだ。

 

Qに似ているだけじゃないみたいだ。この眼差しには憶えがある。
この視線はそれはむしろ、自分自身に突き付けたものでもあるように思える。
やけに親近感を覚えた。


俺が今まで幾度となく他人に説明しようとしてきた命題。
そしてそれは上手くいったことのほうが圧倒的に少ない宿題。

こんなとき、いつだって芸術は俺に力を貸してくれた。

でも今ここにはピアノもギターもない。
初対面で素性も知れない、歳も離れた異性にどう伝えようか。


説明口調は俺は好きじゃない。
そうだな、直感的な言葉に宿る感性に身を委ねよう。


俺は目を開き、組んだ足の膝に手を絡めて永遠に向き直した。


「思春期に少年から大人に変わる。この歌詞の歌、知ってるかな?」

 

さっきよりも柔らかい口調で切り出す。


「はい、聴いたことがあります。」

心なしか、先ほどよりも機械的な感じが薄れたように思えた。

永遠は歌が好きなんだろうか。
普段はもう少し柔らかい表情の彼女が頭に浮かんだ。


「そうか。俺も似たようなもんだったかな。
 俺のときは、テレビやラジオでよく流れていたんだ。
 なんだかすごく胸に響いて、すぐ覚えたよ。高校の合唱で歌ったこともある。」


「私の質問とは関係ないように思えます。質問に答えていただけますか。」

彼女の表情は微塵も変わらない。相変わらずちっとも人と話している気がしない。
どんな返答を期待しているのか全然窺えない。

独り言でもいい。壁に向かって話すように、とりあえず俺は言葉を発することにした。

 


「俺はこの歌詞の意味について、友情や恋、性と愛、いじめや裏切りなどを知ることで人間同士の営みを学び、
 世の中や大人への不信感と折り合いをつけて生きていくようになる。それが大人になるということだ。
 それは誰にだってそうなんだ。そう思った。」

「本当の幸せ教えてよ、とも歌詞では言っていた。
 これも思春期の少年の嘆きだと、当時は思ってた。その気持ちが当時の若者に刺さったんだと。
 俺にはそんな風に感じる人が居ることなんてどうでもよかった。
 当時の俺は学校の授業でこれを歌わされるのが嫌だった。

 この歌の考えをみんなで歌うというのがダサいと思った。
 俺はきっと1人でもやっていける。大多数がなる大人になんて、その頃からなるつもりはなかった。」

彼女は斜め下を向き、静かにかすかに分かる程度の溜息をつく。

俺は構わず続ける。


「だが歳を重ねて、いろんな体験をして解釈が一気に拡がった。」

「たぶん当時の大人達にも、この歌は刺さるものだったんだと気づいた。いや、改めて理解した。
 落としどころを見つけたり、愛を育み家庭を築き、大人として生きてきた。

 そんな彼らの思春期の気持ちも代 弁していたんだと思う。」

「彼らは色んなしがらみを背負って、折り合いや建前もどんどん増え、がんじがらめになっていく。
 でも家族や自分の目に映る、ささやかな日常を守る為に、日々を演じていく。
 そんな人達に時たま溢れ出す、世の中に対する違和感や疑問にふと向き合ったときの、嘆きの代弁。
 それはこの曲が発表された、当時思春期だったが今や大人になった奴らには、より一層深く響く。
 そんな風に思った。」


少し永遠の方に目を遣る。 
メイドのように手を前で重ね合わせたまま、微塵も動かない。瞬きをしているのか心配になるほどだ。

まあいい。

 


「さらに俺は思った。きっと彼らが思春期に抱いていた疑問は、置いてきたなにかは、間違ってなかったんじゃ 

 ないのかと。
 彼らが"大人になる"という選択をすること、それが間違いだったんじゃないかと。
 そして自分が直感に従って生きてきたことは間違ってはいなかったんじゃないかと。」


「それぞれ歩んできた人生がある。彼らは否が応でもその歩みを正当化するだろう。
 もしかしたらそれは俺もそうなのかもしれない。」

ここで少し言葉に詰まった。

俺は自分を正当化したいだけなのかと話しながら逡巡してしまったからだろう。

「でも俺は勿論、彼らも心の奥底では、世の中も人生もこのままでいいとは思ってないんじゃないだろうか。
 漠然と仕事に行きたくない感覚。その原因はそこにあるんじゃないだろうか。
 本質的な何かに気付きながら、敢えて見ないように蓋をしているんじゃないだろうか。俺にはそう思える。」


永遠はこちらを見つめたままだ。反論するような様子も、興味を持っているようにも見えない。

 


「かつての俺は、彼らがそれでいいならそうしていたらいいさ、俺は俺の思う生き方をする、とそう思っていた。
 でも好きなことの為に泥水すすって、地べたを這いつくばって生きて肌身で感じたんだ。気づいたんだ。」

無意識に言葉の勢いが弱まった。

「俺の生き方は、彼らに支えられて成り立っていたものだったんだと。
 俺が憧れた人々は、決して世間で褒められてるような存在ではないんだと。
 彼らの栄光も、たくさんの演出によって作られたものであったということも。

 


「そして、なにかを置いて、"それなり"の日常に耐え世の中を回す人々の暮らしが下層から壊れつつあることも。
 世の中が壊れること。それがある種恣意的といえる事象によって引き起こされていることも。」


一息つく。言葉を遮られることも、相槌を打たれることもない。これじゃ普段の頭の中での自問自答と一緒だ。
なんにせよ最後までちゃんと話そう。

 


「そうしてみる世の中や人々は、金の損得基準のアルゴリズムに基づき、

 綺麗事で上滑りしたキャッチコピーに思考停止し動く、自動機械。主体性を失い、

 搾取側のデバイスとして生涯を終える存在。そんな風になっていると俺は感じた。
 すべての世代において、人生の放課後が補習へと、政治の腐敗により変わってしまっていると、
 日常を営む人々が無意識に、もしくはそれをいいことだと信じて、
 自ら進んで自分たちの生きる"それなり"の日常を、壊していっていると思った。」

これまで目の当たりにした、体感した過去と、関わった人々が目に浮かぶ。

あの場所もあいつらも、時代の流れに呑み込まれていった。俺も一時吞み込まれかけていた。

やりきれない気持ちをが口調に滲み出てしまう。

 


「さらに"死"を遠ざけることで"生きる"ということも軽くなって、システム上でゾンビのようになっている。
 個々人が金に過剰に執着し、無意識に自分を含めた人間全てに、間接的になにをしてしまっているか

 気にも留めなくなっている。

 それは人類の歴史のなかでそれは必然としてなされ、繰り返されてきたことかもしれない。
 でも、だからといって俺はそれらに目を向ける必要がないとは思わない。」


「そうして俺の直感は人間の、ヒトの、でも人としてこの世に生を受けたものとしての警鐘であると、

 そう思った。」


永遠の表情に変化はない。この子にとって俺の言葉は、声帯から発せられた空気の振動を感知しているだけ。
そう思わされんばかりだ。


俺はドアに目を遣り、これまでよりも語気を抑えて付け加えた。


「俺は、"心"に生きる人生を守りたい。自分にとっても他人にとっても。
 それは昔から無意識にやってきたことだ。
 俺は自分が絶対に正しいなんて思わない。でもいくら間違っているって言われても、生涯それを貫くつもり

 だ。そうやって生きてきたし、これからも生きていく。それだけだ。」

暫く部屋を沈黙が支配する。
微動だにしなかった永遠がわずかに上を向いた。


やがて彼女はふっと、軽く瞳を閉じ、再び小さく息をついてこちらを向いた。

 


「お話は済みましたでしょうか。」

そしてすうっと床に俯くかと思えば、こちらに背を向けた。

 


「私にはあなたの言うことも生き方も、まったく理解できません。
 あなたがこうして過ごしている今というのも、誰かの苦労の上に成り立っていることを理解されていますでし

 ょうか。」

振り向くことなく発された無機質な声。表情は伺えない。
ただでさえ機械的に聞こえていた彼女の口調は、より一層冷たく聴こえた。


「知っているよ。」

 


「知っているのと、理解しているのは違います。」


小さくそう言い残して彼女は部屋を去って行った。

彼女が発した最後の言葉は、今日聞いた中で一番人間らしいと思えるものだった。


                      次回、
                「Knockin' On The "Hell" 's Door」

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